創業1914年・手作りザックの老舗・片桐

南極観測隊&片桐

南極観測隊&片桐

南極地域観測隊・JARE(Japanese Antarctic Research Expedition)
とは・・・

南極地域観測は南極条約に基づいて、国際協力のもと、文部科学省・国立極地研究所が実施している事業である。

1955年(昭和30年)の閣議により、国際地球観測年(1957年~1958)への参加が決定した。ブリュッセルで開かれた南極観測を国際テーマとした国際会議で、日本に割り当てられた観測場所は、南極東部のプリンス ハラルド海岸であった。

アメリカ海軍の報告書には、接岸不可能と記されていた。アメリカ、イギリスなどが、7回も上陸を試みて、いずれも氷に阻まれて失敗 している場所であった。

なお、明治43年(1910年)の白瀬南極探検隊についてはフォト『白瀬南極探検隊&TBSドラマ『南極大陸』をご覧ください。

南極地域観測予備隊

1956年(昭和31年)11月8日南極観測船「宗谷」が東京晴海埠頭より出航。この日から、戦後日本の復興をかけた、南極までの2万キロの航海が始まった。

  元は海軍物資輸送船であった宗谷は、数多くの日本企業の協力のもと、大改造され強靭な南極観測船となった。(1956年撮影)
流氷により動きのとれなくなった宗谷(1959年撮影)

永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)は1957年(昭和32年)1月29日に南極の地に第一歩をしるし、東オングル島に「昭和基地」を開設した。この予備隊は後に第1次南極地域観測隊と呼ばれるようになった。

昭和基地に掲げられた日の丸

1956年(昭和31年)南極観測予備隊から現在に至るまで、南極観測隊では片桐のテント・ザックはじめ、隊員が着用する装備が使われている。これは片桐にとって最も誇りとするものだ。多くの越冬隊員たちの貴重な体験に基づいた製作面での依頼・指導により、片桐ブランドは進化を続けてきた。

1957年(昭和32年)昭和基地の建設を開始した南極地域観測予備隊と15頭のカラフト犬。右側にあるのは、片桐製の極地用ポーラー型テント。
予備隊と犬ソリを引くカラフト犬
テイジンの生地で製作した片桐製・極地用ピラミッドテント

天候が穏やかな時は良いが、一端荒れると、想像を絶するブリザードが吹き荒れる南極である。過酷な気象条件の中でも耐えうるテントの製作にあたり、盛之助・理一郎は、夜を徹して、生地選び、形状の考案を続けていた。観測目的、設置場所に応じて、5種の形を製作した。

当初、南極が夏の間に基地建設を完成させ、その後全員が一端帰国し装備を整え直して、翌年南極に戻り観測をする予定であったが、西堀栄三郎氏を隊長とする11名の越冬隊員が南極に残った。

第1次越冬隊員の一人であった佐伯富男氏(北大・農学部出身)は、片桐とも縁の深い山男である。帰国後、佐伯富男氏が盛之助に語った越冬のエピソードは沢山あるが、中でも強烈に印象に残っているのは、食料置き場が突然、海になり、割れた地面に食料ごと流された時の話である。貴重な食料の大半を失った11人は、呆然とし、一時は遺書まで書いたという。あの、陽気な佐伯富男でさえ死を覚悟するほどの、過酷な状況が想像できる。現在の昭和基地内は、普段の日本と変わらないくらいの設備であるが、当時は、想像を超えた辛い生活を余儀なくされていたのであろう。

なお、佐伯富男氏は、剣沢小屋の佐伯文蔵氏の婿養子であり、また北大ではプロスキーヤー三浦雄一郎の先輩にあたる。三浦雄一郎氏がエベレストスキー滑降をした際も、佐伯富男氏は、片桐製の装備を着用して同行している。

第2次南極地域観測隊以降

1957年(昭和32年)の第2次隊は悪天候のため越冬を断念した。はじめは第2次隊で終了予定だったが、その後も順次延長され、現在は第51次南極観測隊が活動している。

片桐製・越冬隊員の防寒服(第3次南極観測隊)

フード部の毛皮(ウルヴァリン)は手作業で縫い付けている。

このほか、写真が残っていないのが大変残念であるが、アザラシの毛皮を使用したブーツカバー、内側にボアを付け、掌に革を縫い付けたグローブなども製作した。

飲み水として利用するために氷山から氷の塊を切り出しているところ。
風船を飛ばし、気象情報を収集する。
氷の厚み・海の深さを調査する氷の穿孔。
南極のペンギン

テント・隊員の装備以外では、現在では、極地用旗竿等も製作している。これは、道路のない南極でルート工作をする際に使用するものであり、500m間隔でたてた旗竿を道標として行動するのである。旗竿にはポイント番号が付けられ、緯度と経度を記録し、これが南極の道路地図となるのである。

なお、4代目・理一郎亡き後は、片桐ではテントの製造は中止している。

タロとジロ

1958年(昭和33年2月に第2次南極越冬隊が到着したが、氷の状態と気象条件の悪化のため、交代隊員を乗せた観測船『宗谷』は接岸できなかった。このため第1次越冬隊の全隊員はビーバー機で基地を脱出した。この際、15頭のカラフト犬は、無人の昭和基地に置き去りにせざるをえなかった。結局、天候が回復しなかったため、2月24日に越冬は中止され、カラフト犬はそのまま置き去りになった。

翌年、第3次越冬隊が昭和基地に到着すると、15頭のうち2頭の生存を確認した。その後の調べで、この2頭はタロとジロであることが分かった。極寒の地で、一年間を生き抜いたタロとジロ発見のニュースは、日本中に深い感動を呼んだ。この話が映画『南極物語』である。

1959年1月(第3次南極観測隊)撮影。左がジロで、右がタロ。

なお、ジロは一年半後に南極で死んでしまったが、タロは日本に帰り、その後10年くらい生存したのである。

映画・南極物語

フジテレビが初めて製作した映画『南極物語』(ANTARCTICA)は、撮影期間3年余りをかけ、
1983年(昭和58年)夏公開された実写である。
『どうして見捨てたのですか なぜ犬たちを連れて帰ってくれなかったのですか』の
キャッチコピーも話題となった。

第一次観測隊に参加した村山雅美氏が監修を行っている。

出演者は、高倉健・渡瀬恒彦・岡田英次・夏目雅子・荻野目慶子・他。

片桐は村山雅美氏の紹介により、フジテレビの協力依頼を受け、映画『南極物語』の撮影に使用するテント・出演者の衣装を製作した。

高倉健氏は、防寒服などの仮縫いのため、湯島の片桐に来店した。

深々と被っていた帽子をとり、「よろしくお願いいたします」と丁重に挨拶をし、極寒の地での装備について真剣に耳を傾けた当時の高倉健氏からは、映画・『南極物語』かける強い情熱が感じられた。

『南極物語』撮影で使われた片桐製のピラミッドテント
出演者らの衣装など

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